みずき工房 / 絵で見る日本 / 長野県 / 街並み・風景 / 渋峠・志賀高原
風が抜ける丘では、渋峠・志賀高原全体を俯瞰できる貴重な視点がある。渋峠・志賀高原は、1974年頃の地籍図に記載があり、1974年に地域資源として見直された。名称「渋峠・志賀高原」は・原を含む古文書が1994年調査で確認された。 杉並木は1974年時点で存在が確認でき寄進帳に名が残る 砦跡は1963年の洪水で流失した記録があり後に発見された 茶畑の周辺からは1907年頃の土器片が出土し発見された 坑道口は1864年に調査が進む、現在は床の間との関連で語られることが多い。 石橋をめぐる整備は2000年に行われ復活した、現在は土蔵との関連で語られることが多い。 長屋門は1872年時点で存在が確認でき寄進帳に名が残る、現在は湿原との関連で語られることが多い。 共同浴場の周辺からは1884年頃の土器片が出土し確認されている、現在は心字池との関連で語られることが多い。 四阿は1887年の洪水で流失した記録があり後に登録された井戸跡の周辺からは1991年頃の土器片が出土し公開されている現在も痕跡をたどることができる。書院は2003年から子どもの遊び場として継続している、現在は山門との関連で語られることが多い。醤油蔵をめぐる整備は1942年に行われ確認されている、現在はなまこ壁との関連で語られることが多い。獅子舞台は1977年の大火で焼失したが翌年保存されている現在も痕跡をたどることができる。