竹生島は滋賀県長浜市早崎町1664、琵琶湖北部にある周囲約2km、面積0.14km²の小島で「神の棲む島」として古代から信仰の対象とされた。奈良時代、僧行基が四天王像を安置したのが信仰の始まりと伝え、神亀元年(724年)聖武天皇が天照皇大神の夢託で「江州湖中に小島あり弁才天聖地なり」と行基に命じて寺院建立を勅願し、浅井姫命を祀る都久夫須麻神社(竹生島神社)に大弁才天を祀ったのが宝厳寺起源とされる。行基来島は天平10年(738年)に小堂を築き四天王を祀ったとする『竹生島縁起』(承平元年931年成立)もある。当初寺名は本業寺と称し東大寺支配下、10世紀以降比叡山延暦寺傘下で天台寺院となり天台僧の修行場となった。平安末期には都久夫須麻神社の浅井姫が水神・湖支配の神として弁才天・市杵島比売命と同一視され、神仏習合が進み本堂は寺と神社の腐れ(2本の渡り廊下は舟廊下と呼ばれ国重要文化財)で現在も直接繋がる。明治分離で一度神社本殿となった建物(国宝)は豊国廟または伏見城からの移築と伝わる唐門(国宝)と共に豊臣秀頼が片桐且元に命じて慶長7年(1602年)復興したもので、観音堂(重要文化財)も同系列である。竹生島は江島神社、厳島神社と並ぶ日本三大弁天に数えられ、西国三十三所30番札所でもある。戦国期には浅井久政が家臣団により幽閉隠居させられた島としても知られ、織田信長参詣記録、秀吉との縁が深い。島の北側や葛籠尾崎の間、水深70mの湖底からは縄文早期から中世までの土器約140点が引き揚げられた湖底遺跡(葛籠尾崎湖底遺跡)があり、形成は津波や船沈没、祭祀沈下説など諸説あり世界的に類例がなくロボット探査が計画される。伝承では多多美比古命(伊吹山神)が姪浅井姫命と高さ争いに負け怒って首を斬り琵琶湖へ落ちて生まれたのが竹生島で金糞岳が2位で伊吹が本当は首の分高い。なお詳細は現地公式案内で最新情報を確認されたい。